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【コラム】東日本大震災 福島県浜通り地域を視察

◆研究チームによる福島県浜通り縦断視察

7月15日、法務研究財団助成を受けた法律家や学者らの研究チームの視察で、福島県浜通りを北から南へ縦断しました。今回の視察は、福島県庁の復興局、企画調整部、相双地方振興局、南相馬市副市長らのご協力・ご厚意によって実現したものです。心より感謝申し上げます。

 

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浪江町沿岸部の請戸地区

かつては大規模な住宅地でした

福島第一原子力発電所が見えます

 

 

 

 

奇しくも、6月20日に福島第一原子力発電所の内部の視察の機会を得ました。その時は、あくまで原発という「点」を集中的に視察する目的であり、周辺の状況や政策的課題などについてはヒアリングや視察の時間がありませんでした。今回は、福島第一原子力発電所という「点」だけではなく、浜通りの被災地を「線」として結び直すことになりました。そして、各地域の特徴や差異を分析することで、より具体的な「面」として課題を再構築できたように思います。詳細については、研究チームの報告に反映したいと思います。

 

(参考)【コラム】福島第一原子力発電所構内の視察の機会を得ました

 

原発構内視察を除けば、2012年、2013年に福島県沿岸部を訪れておりますので、今回は3回目となります。普段立ち入りができない地域も視察させていただきました。

 

行政の方から現状や政策的課題をヒアリングしながらの視察でしたので、さらに『立体的』に被災地と、その被害態様、課題、復興の過程を感じ取ることができたように思います。改めて、南相馬市と県庁の方々に御礼を申し上げる次第です。

 

◆飯館村を経由して南相馬市へ、副市長と意見交換

 

南相馬市の江口哲郎副市長との意見交換です。総務省出身で昨年から副市長を務めています。副市長からは現場の課題を網羅的に伺うことができました。その結果、単に見るだけの視察から、考えて共感する視察が実現したように思います。

課題は、除染、がれき、廃棄物、交通インフラ、賠償、教育、子育て、雇用、医療福祉、税制、復興特措法の活用、農地転用、補助金返還問題、、、など多岐にわたります。

その中でも、もっとも深刻なのが、労働人口が不足していることです。事業をするにも人材が不足し、求人しても満足に集まらないという現状です。また、急速な高齢化を迎える仮設住宅において、南相馬市立総合病院が在宅医療の要になっています。しかし、病床数の関係から、在宅支援病院指定が受けられないという点も、深刻な問題だと認識しました。

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南相馬市役所にて

 

 

 

 

 

 

◆南相馬市小高区の変化と進捗

小高区には2年前の2012年のGWにも訪れています。ちょうど警戒区域が解除された直後です。生々しい津波の跡、道路上の船や車両がそのままの状態でした。2年間経過した今、少しずつですが、まちの復興の兆しを感じることができます。もっとも、コンパクトなまちづくりにするのか、あるいは完全復興の願いを実現するのか、課題は多いものと聞いています。

 

◆浪江町請戸地区

浪江町の沿岸部は避難指示解除準備区域となっています。ただ、防犯や安全性の観点から、請戸地区への立ち入りは、業務や住民以外は、事実上制限されています。今回は県の案内で訪問できました。実は、2013年5月にも、地元医師の方と一緒に、請戸地区を訪れています。なので、1年前と比較することができるのではと考えていました。しかし、今回の印象は、あの時から変わらず、手つかずのまま、でした。案内して頂いた県庁の方もそう述べていました。請戸の広大な農地と海沿いの住宅密集地帯が跡形もなく消え、家の基礎部分とがれき、船舶の残骸があたり一面に残されています。

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◆浪江町権現堂地区

浪江の中心商店街です。この地区も安全性や防犯の観点から、業務や住民以外の立入は制限されています。地震の爪痕が残るエリアです。道路にがれきが飛び出すような状態は解消されていますが、人の気配はほとんどありません。

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◆国道6号線を北から南へ通過交通(帰還困難区域)

国道6号線は、双葉町、大熊町、富岡町の帰還困難区域を縦断していることから、今でも南北に分断されています。今回は特別に検問を通過し、そのまま南下します。双葉町と大熊町にまたがって、福島第一原子力発電所があります。国道からは、原子炉建屋の煙突が間近に見えます。この6号線については、正式には決まっていませんが、平成26年以内に一般車両が通行できるようにする方針が打ち出されています。道路脇の除染が急務となっています。南北に分断された相双地区が一つの線でつながることで、首都圏からの物流コストが大幅に削減されます。南相馬副市長も述べていましたが、福島から飯館経由しかルートがない南相馬市では、この6号線開通による南からの物流に、特に大きな期待を寄せています。

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◆福島県水産種苗研究所の津波被害(帰還困難区域)

大熊町に入り、原発を少し過ぎたところで国道を沿岸部に折れ、側道を再び原発方面に走ります。目的地は水産種苗研究所です。やはりここも帰還困難区域です。津波により壊滅し、県庁の職員が亡くなっています。木造ドーム型の研究所はかろうじて原型をとどめ、津波の威力を生々しく、凄惨に伝えています。研究所は福島第一原子力発電所のすぐ南に位置し、視察の際に携帯していた県庁の放射線測定器は計測不能(10μsv/h以上)でした。実際は20μsv/hくらいだろうと思われます。これでも1年前と比べれば桁違いに線量は低くなっています。この水産種苗研究所は、津波被害の跡が生々しく、形状も象徴的であり、亡くなった方もいます。ここに来ることで悲しみを共有し、福島の津波被害を忘れないでいられるとしたら、遺構として残す選択肢もありえるのでしょうか。議論の価値はあるのではないかと思います。

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◆富岡駅と市街地の津波被害

大熊町から国道6号線を南下すると富岡町です。富岡町の沿岸のうち、富岡駅の周辺は解除準備区域になっています。富岡駅は海に近いJR常磐線の小さな美しい駅でした。今は3年前から時が止まった状態です。市街地の建物の津波被害を含め、ほぼそのままの状態で残っていると言ってもよい状態です。この美しい駅に再び鉄道が発着する日を願いたいところですが、津波の心配のないところへ移設される計画のようです。国道6号線沿いの田畑はようやく除染が始まったところです。

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◆楢葉町/広野町 Jヴィレッジ

富岡からさらに南へいけば楢葉町です。避難指示解除準備区域になっていますので、出入りは自由です。ここにサッカーのナショナルトレーニングセンター、Jヴィレッジがあります。東京電力が建設し、福島県に寄贈。現在は福島第一原子力発電所の作業拠点として東京電力が借りています。

6月に福島第一原子力発電所を訪れた時にもここから専用バスに乗って原発構内に入りました。そのときは施設を見学する時間がありませんでしたが、今回はJヴィレッジの役員の方に案内をしてもらいました。

11面のサッカーコートは土と鉄板で覆われ、駐車場や資材置き場になっています。2時46分を指したままのスタジアムの大きな得点版。ピッチには二階建てのプレハブ宿泊施設が立ち並んでおり、サッカー場の面影はありません。かつて福島第一原子力発電所への入退管理は、このJヴィレッジで行われていましたが、1年前に原発の入り口に施設が新設されたことで、着替えや装備はもうJヴィレッジでは実施していません。

2020年の東京オリンピックに向けて、原状回復のうえ返還の方針となっています。一日も早く、オリンピック選手や才能ある若手がここでトレーニングできるようになることを願います。

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(参考)【コラム】福島第一原子力発電所構内の視察の機会を得ました