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【コラム】静岡「七夕豪雨」の慰霊碑・自然災害伝承碑を訪ねて

2024年6月11日、研修講師として静岡市へ出張。この機会を利用して静岡駅近隣の「七夕豪雨」の石碑を訪ねた。

七夕豪雨は、昭和49年(1974年)の7月7日から8日にかけて、かねてよりの停滞全線と、日本海側で動きを止めた台風第8号の影響で大量の湿った空気が流れ込んだことにより発生した長時間の豪雨により、巴川が氾濫したことによる洪水被害である。巴川の氾濫によって、静岡市や清水市(当時・現在は静岡市清水区)にかけての市街地が広範囲にわたり洪水被害にあった。また、各地で多数の土砂災害も発生した。24時間雨量は508mmに及び、静岡地方気象台の統計開始以来1位を記録した。静岡県は、太平洋に面して南西から湿った空気が供給されるだけでなく、山岳が海岸に迫り、かつ北部にむけて急激に高くなる山岳地帯が連なる地形をしていることから、山沿いで上昇気流による雨雲が発達しやすい地形でもあった。

巴川氾濫による「七月豪雨」により27名の方が亡くなった。住宅についても、床上浸水約12000棟、床下浸水14000棟という甚大な被害となった。なお、静岡県全体では、死者行方不明者44名、住宅の床上浸水26000棟以上、床下浸水54000棟、全壊241棟というとてつもない被害を齎している。

訪ねた2つの石碑について簡単に写真とともに報告する。

 

【七夕災害慰霊碑】

「おせんげんさん」で知られる静岡淺間神社の先、静岡県静岡市葵区丸山町の住宅街にある。国土地理院「自然災害伝承碑」でもあり、Googleマップでも容易にたどり着くことができる。石柱の側面には、当該地域で犠牲となられた8名の方のお名前が刻まれている。御塔婆も新しい。

 

 

【七夕豪雨洪水之碑】

静岡鉄道の新静岡から長沼で下車。静岡鉄道の車両基地にバンダイ社の大きな社屋。その先にある住宅街、静岡市葵区長沼にある小さな「長沼公園」の入口に建立された石碑。石板と石柱があり、石板の碑文には被害の様子が生々しく記述されている。石板の高さは、浸水高を表している。

 

七夕豪雨洪水之碑

昭和49年7月7日朝から降り始めた雨は、8日未明まで続き台風8号の刺激によって勢力を増し静岡市の雨量観測史上空前の日雨量508ミリメートルを記録しこれに伴い長尾川右岸の決壊が加わり当町も一面水に包まれ床上浸水106戸床下浸水135戸で全戸数の98%が被害を蒙り町内会の焚き出しおよび市の救援物資の援助を得るなど天災の物凄さを痛感すると共に二度とかゝる災害を繰返すことのないよう町民挙げて願う次第であります。この洪水の水位はこの碑の頂点まで達しその記録を後世に伝えるべく建設いたしました。

昭和57年7月

長沼町1、2、3丁目町内会

長沼公園愛護会

建設

 

 

七夕豪雨といえば、まだ私が小学生のころ、アニメ放送が始まったばかりの「ちびまる子ちゃん」の『まるちゃんの町は大洪水』の回が鮮明に記憶されている。1990年の放送だったようだ。まるちゃんの家族や玉ちゃんの家族が、みんな屋根に避難して「おーい」と呼び合っているシーンが衝撃的だった。原作のさくらももこ先生の出身地は清水市(現・静岡市清水区)であり、静岡の中心街からみて巴川の下流側に位置している。

 

(参考資料)

気象庁 https://www.data.jma.go.jp/obd/bsdb/data/files/sg_history/22000/1974/22000_1974_1_8_2.pdf

静岡県 http://doboku.pref.shizuoka.jp/desaki2/shizuoka/tomoegawa/13tankentai/tanken-pdf/tankentai-4.pdf