【コラム】阪神・淡路大震災から21年 神戸新長田の病院に見出した希望
■地域の新しいランドマークを目指す病院
医療法人社団十善会野瀬病院訪問の機会を得た。
阪神・淡路大震災で甚大な被害を受け、多くの建物が倒壊・焼失した新長田駅周辺。その再開発地区の一角に、2014年に新病院が移転・完成したばかりだ。一般30床、療養60床で運営しており、慢性期医療をベースにリハビリテーションに力を入れている。ホテルのような受付、個室も廊下も木目調の落ち着いた内装、広々とした廊下、明るいスタッフの挨拶。全フロアをぶち抜いたリハビリスペースと、そこに併設された庭園。1日に200名の患者さんが来院するというから驚異的というほかない。
2010年に現在の院長先生になり、病院移転だけではなく、接遇や看護について大改革を行い、「地域を元気に」する病院として再出発。医療クラークを充実させ、障害者雇用を促進。すべてのスタッフが誇りを持って「作業」ではなく、プロの役割分担として「仕事」を行う職場環境づくりを行っている。とくに、患者も、医療スタッフも、事務スタッフも、すべての関係者がワンストップで相談できるサポートセンターを、病院本部に設置し、専属職員が対応することで、誰もが安心して病院に関わることができている。
病院の7階にあるウッドデッキ付きの多目的ホールは、映画撮影でも使われるほど。長田の新旧市街を見渡すことができる。海も一望だ。患者や職員のためだけではなく、地域のイベントスペースなどにも開放し、「地域の皆様のためにコミュニティスペース」として利活用されている。病院は必ず人が集まる場所。特に高齢者の方が多い。そんな病院が、地域活性化の拠点を開放しているというのは、非常に興味深いモデルだと考えられる。
■阪神・淡路大震災と新長田の復興計画
阪神・淡路大震災の復興計画により、JR・地下鉄の新長田駅南側には、中高層の複合施設が何棟も建設された。「建物はできたがみんな出てこない、シャッターばかりだ」と住民から酷評され、現に震災から21年経過した現在、メイン通りですらシャッターの降りているスペース、テナント募集を掲げるスペースが目立つ。住民合意プロセスを経ない行政主導の復興計画は「復興災害」とまで評されている。この点については、多くの報道や研究論文が出ており、詳細はそちらに譲る。
■新長田の震災遺構
震災からの復興を象徴するモニュメントが再開発施設内の商店街の所々にあるが、決して強調されているわけではなく、自販機や看板の陰に隠れているものもある。当時の「遺構」はほとんど残されておらず、戦争と震災による火災を耐え抜いた「神戸の壁」も、地下街の一角に鎮魂モニュメントとして、ひっそり展示されている。21年前にこの町が焼け野原のようになってしまったことをうかがい知る情報はなかなか見つけることができない。
ところがである。
縦横に走る商店街や旧二葉小の周辺をぐるぐる歩いているうちに、気が付いた。新長田駅の南側に延びる「新一番街」「大正筋」を南下し、東西に走る「六間道商店街」との交差点である。すこし交差点を離れて眺めると、中高層の巨大施設と、昔ながらの個性的な軒先が続く商店街のコントラストに気が付いたのである。すなわち、ここが阪神・淡路大震災による倒壊や焼失被害の分かれ目なのである。当時の被災した姿としての遺構は残っていないが、こうしてはっきりと阪神・淡路大震災の爪痕が確認できるといえば大げさだろうか。
■鉄人28号、三国志、そして「そばめし」
新長田駅前のJR新長田駅南側、若松公園内に力強く立つ「鉄人28号」。体調18mだそうだ。2009年に完成し、公園で遊ぶ子供たちを見守っている。再開発地区の一角には、三国志ガーデンがオープンし、三国志の英雄像も町の至る所に鎮座。新長田にしかない特徴的なコンテンツが目白押しだ。
再開発後の施設内にも魅力的なお店は多い。市民に愛され小さいながらもお客の絶えることがないパン屋さん。日本茶・抹茶を提供する日本茶カフェなども発見した。外部の人間がみても魅力的な店はしっかり再開発エリアの商店街にも残る。
また、忘れてはいけないのが、古い商店街の一角に残る「そばめし」発祥の地だ。甘辛いソースでご飯と焼きそば麺を炒めた、いわゆるB級グルメは、とてつもなく旨い。しかし、他の兵庫在住者に聞いても「そばめし」を地域で積極的に発信している様子はなく、発祥の地であることも知らない人が多かった。知る人ぞ知る店。知る人ぞ知るグルメになっているようだ。
街の潜在能力は大きい。新旧のコンテンツを発信するためには、旧来の営業主体どうしの、分野を超えた横のつながりが不可欠であろう。もしかしたら、野瀬病院のような開放型のコミュニティスペースによる地域交流手法が鍵を握るかもしれないなどと漠然と考えた。
取り急ぎ推敲不足の散文にて失礼する。