【コラム】防災の日 伊勢湾台風60年「不忘碑」と桑名長島「輪中の郷」
2019年9月1日の「防災の日」。1923年の関東大震災から96年。
寺田寅彦先生が、百年先の災害に備えるべく「天災は忘れたるころ来る」と警句を残し、
福田徳三先生は「人間の復興」を唱えた。
伊勢湾台風60年「不忘碑」
1959(昭和34)年9月26日、日本全土を覆う伊勢湾台風は直接死5000名以上の大災害となった。東海地方の被害は凄まじく、三重県沿岸部も壊滅的な浸水被害となった。三重県桑名市も甚大な被害を受ける。死者は200名以上になった。
「伊勢湾台風不忘碑」は、災害復旧工事が終了した1962(昭和37)年に建立された。桑名市の沿岸部。「揖斐川」のスーパー堤防のすぐ内側。堤防に登れば、川向うには巨大遊園地「長島スパーランド」や名古屋港の巨大クレーンも見える。
堤防に建てば、住宅街がマイナス海抜地帯であることがよくわかる。また、伊勢湾台風後のスーパー堤防の内側には、それまでの明治期からの堤防(やはり低い)の後もある。そのためか、川岸は複雑な坂道地形と道路になっている。
碑には左右2つ石板。文字には墨が入ってたようだが、現在は剥げ落ちて、太陽光がよほどうまく差し込んでいないかぎり文字の判別は困難になっている。修復が望まれるところである。
正面向かって左の石板は
「当時の犠牲者の霊に対し心から哀悼の誠を捧げるとともに この未曾有の災禍を永く市民の心に銘し将来再びかかる惨禍のないことを念じ本碑を建立するものである」
向かって右に石板は桑名市の被害状況
「最大気圧940.0mb、瞬間最大風速51.3m/s、死者202名、家屋全壊259世帯、家屋流失135世帯、家屋半壊1,649世帯、床上浸水4,791世帯、床下浸水1,138世帯、公共施設被害41億8千万円」
伊勢湾台風の慰霊碑は東海各地に残っている。防災講演で何度も訪れている四日市市では『四日市市伊勢湾台風殉難慰霊碑』なども巡った。
輪中の郷
「輪中」とは、川の扇状地から河口の内部の島を水害から守るために周囲を囲んだ堤防、あるいはそのコミュニティを指す。社会科や地理の教科書での御馴染みの「わじゅう」「くるわ」である。有名なのは愛知県と三重県の境を流れる「揖斐川」「長良川」「木曽川」の輪中であろう(というかそれしか知らないが)。三重・愛媛の三大河川には、かつて無数の「輪中」があり、ひとつひとつが村であり町となっていた。
輪中の変遷や暮らしの様子は歴史民俗資料館「輪中の郷」の展示が充実しており、大変勉強になった。大変立派な施設。もちろん、伊勢湾台風についても相当のスペースを割いて展示している。河川氾濫を克服しようとする土木技術の歴史も見ることができる。
輪中の郷では、「水屋」を館内に移築したり、水害に対応する石垣を装備した農地を再現したり、太平洋戦争時代の不発弾のレプリカを展示したりと、見ごたえのある展示が多い。
となりには全天候型のスポーツ施設「輪中ドーム」がある。周囲は堤防と農地で、周りに何もない施設だが、「輪中の郷」はぜひ訪れてほしい。
輪中の暮らしの痕跡
いまでも輪中の暮らしの痕跡を見つけることができる。石垣で土地をかさ上げして、その上に母屋を建設しているのである。ミニサイズのお城の石垣が点在しているようである。古い家については、そのような石垣があるが、アパートや最近の工法の自宅をみると、そのような石垣は見られない。貴重な輪中の痕跡だ。
(参考)
お世話になった三重県庁、いなべ市役所の皆様に心より感謝を申し上げます。