活動実績

【報告】東日本大震災・原子力災害伝承館を訪問しました(備忘メモ)

2020年10月30日に、福島県双葉町中野集落跡地の一部にある「東日本大震災・原子力災害伝承館」(福島イノベーションコースト構想推進機構)を訪問。事前にご紹介を頂いていた事業部長様及び同課長様とも意見交換をすることができ、大変充実した訪問となった。関係各位に改めて感謝を申し上げたい。関西大学の永松伸吾教授には、福島県のご担当者を通じて伝承館関係者をご紹介頂くなどお世話になった。ありがとうございました。

 

伝承館は津波被害の激しかった双葉町沿岸部の中野地区に作られた。2020年10月現在、中野地区集落で津波被害を受けた建物の一部が取り壊されずに残っている。生々しく、痛々しい津波の爪痕がそこにはある。すぐそこにあるはずの海岸線は地上目線では見えない。白く輝く建設中の新しい巨大堤防の向こう側だ。

 

展示について、ごく簡単な感想を備忘のために述べておきたい。訪問直後の印象を書き留めることが目的の、かなり雑なメモであり、思考の矛盾もあるかもしれないことをお詫びしておく。そのうえで結論から述べれば、確実に訪れるべき価値のある施設だと考える。

 

展示は、福島第一原子力発電所の建設、東日本大震災と事故の発生、応急対応、住民避難や復興過程、廃炉と福島イノベーション・コースト構想、という順番でコーナーが作られ、過去、現在、未来を辿る構成になっている。

 

「プロローグシアター」では、ごく簡単に福島原子力発電所の建設経緯や事故の発生が語られる。かなりあっさりしたオープニングという印象。深刻さ、悲惨さ、恐怖、苦しみ、といった原発事故が齎した苦しみはあまり伝わってこない。むしろ敢えて事実関係のみをあっさりと伝えることにしたのかもしれない。これだけの巨大シアター施設をオープニングにもってきていることからすれば、事故の影響が及んだ範囲や、避難の悲惨さを、数値や映像で印象付けて伝えることはしても良いのではないかと考えた。プロローグシアターで最後に映し出されるのは、「ふたば未来学園」の新校舎とそこで学ぶ子供たちの凛々しい眼差し。原子力災害と復興に向き合いながら育つ子供たちこそ、未来のリーダーに相応しいと私は思う。

 

展示の前半では、原子力政策推進とその恩恵を受けた福島沿岸部の様子が描かれている。大量の雇用を生み出し、地域の生活を豊かにしたことは間違いない。双葉町や大熊町の人たちの複雑な心境を感じる。壁面いっぱいに『原子力 明るい未来の エネルギー』という、当時の小学生が作った有名な標語の看板写真がある。現在は撤去されてどこかに保管されているようだ。当初は現物を展示する予定だったようだが、巨大で安全性が確保できないということで写真展示となった。

 

原子力政策の教訓のひとつに「リスクコミュニケーションの欠如」がある。政策推進のうえで「安全」が独り歩きしたことは否めない。リスクの理解と許容のプロセス、国、事業者、学者、地域住民、それぞれが「共考」するプロセスが欠如していたことを反省点として後世に残すような説明展示も必要になるだろう。

 

次にあるのは、東日本大震災の発生直後の津波や、亡くなった方に関する展示。壁面全体を使った津波映像はあえて白黒にするなどの配慮がある。これでも十分に衝撃的で生々しい。とはいえ映像は一瞬であったので、終ってみるとあっさりしている。津波の展示は、ショックが大きすぎるため、私も何が正解なのかわからない。このあたりの展示バランスは苦労されている様子がうかがえる。

 

福島県内では、1600人以上の方が津波で亡くなり、これまでに2200名以上の方が「災害関連死」で亡くなっている。この災害関連死は、原子力発電所事故によって避難を余儀なくされたことで、入院者、高齢者、障害者や難病者などが、移動負担や避難先の劣悪な環境に耐えられずに命を削られ、そのことが原因で事故後しばらくして亡くなるというケースがほとんどである。私は、これこそが、原発事故の悲惨さの象徴ではないかと思う。原発事故からの避難者は、県をまたぐ広域避難や複数回の避難を余儀なくされている。その他の資料などによれば、避難場所を移った回数は、10回以上という家族も多い。この尋常ではない避難の負担が、多くの命を奪ってきたことは、もっと強調されなければならないのではないかと考えた。

 

大規模避難所への現地法律相談支援経験や、2009年から2011年秋までの内閣府出向時代を含め、2011年夏以降の原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADRセンター)の創設にかかわり、内閣府任期後は、原発ADRセンターの総括主任調査官として約6年勤務し、原発ADR業務体制の構築や200件以上の事件に関わった。事前の予備知識があってこそ、避難者数の数字のその家族の状況と過酷さを改めて推し量ることができた。初めて広域避難という事実を知る伝承館来館者もいるなかで、どうすればその避難生活という苦悩が、より正確に伝わるのか、難しい問いではあるが展示の更なる工夫を期待したい。

 

事故に至る時系列、炉心溶融、そして水素爆発などの展示や応急対応の記録展示については、緊迫した当時の映像や、オフサイトセンター対策本部で利用していたホワイトボード・備品の展示がある。ただ、原発災害対策への基本的な説明がやや少ないため、アイテムだけからは緊迫した状況はそれほど強くは伝わらない。それでも、爆発後の建屋などを再現した福島第一原発構内のジオラマは、凄惨な光景を克明に記録しているように思われた。2014年6月に社会科学研究者チームとして初めての福島第一原子力発電所構内視察に研究メンバーの一員として同行したことを思い出す。そのときの背筋の凍るような沿岸部の破壊された施設の光景を思いださずにはいられなかった。

 

その後、故郷を奪われた住民の声、避難生活を余儀なくされ長期に及んでいる事実、風評被害による経済打撃、生活の再建への悩みなどの展示が続く。避難生活に関する展示は、避難者数や仮設住宅、帰還者の人数などが中心だった。復興が半ばであることは明確に表現されたいた。避難先で強いられた生活の苦しみ、故郷を失った悲しみ、そして前述した「災害関連死」の原因などへの言及は、より強調して説明されるべき事象のように思われた。また、避難指示区域、緊急時避難準備区域、計画的避難区域、自主的避難等対象区域などの区域指定が齎した影響も甚大だった。この変遷仮定や「帰還困難」の途方もない歳月もふくめて、淡々と展示を増やしていく余地はあると思われる。

 

もちろん、復興を目指す、「希望の声」はとても大切だと考える。ゆえに、被災の苦悩と、復興への希望は区別して展示する余地もあるのかもしれない。これも難しいバランスが要求されるのだと考える。

 

被災者に対する「被災証明書」の発行や、政府による被災者向け冊子「生活再建の手引き」なども展示されている。政府の「生活再建の手引き」は、何度か更新されているが、次第に見やすくカテゴリー分けされるようになる。その元ネタになっているのは、弁護士有志が作り上げた生活再建と復興情報の冊子『復興のための暮らしの手引き~ここから』であることは記しておきたい。

 

なお、私が見落としていたのだろうか、避難生活や復興に向けての展示のコーナーのなかに、「原子力損害賠償」に関する展示は発見できなかった。原発事故の被害者は、強制避難をした地域の人たちだけではない。その周辺、福島県全体、そして日本全国に被害は及んでいる。裁判所のキャパシティが圧倒的に不足することが予想されたため、政府は前述の通り2011年秋に「原子力損害賠償紛争解決センター」というADR(裁判外紛争解決手続き)組織を立ち上げた。原子力災害における損害賠償紛争を、裁判に寄らずして迅速に解決するはずの画期的システムであったはずで、その実績も、運用上の多くの課題(救済の線引き課題や人員の課題)も、しっかりと伝承されるべきである。教訓は、制度や法律として社会に組み込まれてこそ将来に繋ぐことができる。原子力損害賠償政策の軌跡は、伝承館でこそ伝える価値がある。

 

最後の展示フロアは、福島の産業復興と、福島イノベーションコーストのこれから、そして廃炉の状況についてである。廃炉技術は確立されていないという話で、試行錯誤の連続なためか、展示もややこじんまりしている。廃炉に向けより多くの技術が開発されることを願いたい。やはり、ここに原子力損害賠償に関する展示、放射性物質汚染に関する展示、避難指示区域の変遷、帰還困難区域の実情(変遷とこれからなども含め)などを加えてはどうかと個人的には思う。

 

イノベーションコーストの成果物はこれからということだろう。これから町ができていく。完成形をより視覚的に見せることで、福島の新しい希望のイメージが湧くのではないだろうか。こちらも今後の展示に期待したい。

 

色々と雑感を書いたが、原子力災害を記録した最大の展示施設であり、是非足を運ぶべきだと考える。少なくとも事故直後の原子力発電所の対応などは、淡々と事象を述べるからこそ、中立的客観的に冷静に分析ができると評価することもできるのかもしれない。今回を契機に、より深く伝承館の在り方自体を研究する機会を設けてもよいと考えた。

 

伝承館に隣接する「双葉町産業交流センター」には、食堂がある。物産店もオープン予定。屋上へ上がれば、美しい海がはっきりと見える。南側の森の影からは、東京電力ホールディングス「福島第一原子力発電所」の建屋鉄塔の一部を観ることができる。産業交流センターや伝承館のあるエリアと原発の森との間は放射性物質汚染土の「中間貯蔵施設」である。これらの風景は日々刻々変化していくことになるだろう。

 

早朝、2020年3月に完全開通した常磐線と公共交通機関を乗り継いで伝承館に到着。午前8時30分。風が強く肌寒い中、午前9時の開館を待っていると、遠くから知っている人物が歩いてくる。なんと、伝承館の上級研究員でもある東京大学の関谷直也先生であった。なんという僥倖。この日は、オープニングセレモニーに向けた打ち合わせ日だったということだ。展示について気付きを書き留めようと考えたのも関谷先生のおかげであり、改めて御礼を申し上げたい。

 

 

東日本大震災・原子力災害伝承館

双葉町産業交流センター

・岡本正「福島第一原子力発電所 構内視察備忘録(2014年6月)」(ハフィントンポスト/なお『災害復興法学Ⅱ』プロローグにも記事を掲載)

・岡本正「珈琲が映す福島の未来―ふたば未来学園「ふぅ」―」(第一東京弁護士会会報 2020年11月号)

・岡本正『災害復興法学』慶應義塾大学出版会(第1部第2章「東日本大震災のリーガル・ニーズの視覚化」に原子力事故関係相談の詳細分析と時系列分析、第2部第9章「100万件の紛争を法律家の手で解決せよ」に原子力損害賠償紛争解決センター創設経緯や運用状況・リーガルニーズの多重分析、第10章「既成概念を打ち破る新しい法律・法改正」に原子力損害賠償請求権の消滅時効延長法改正の軌跡あり)

・岡本正『災害復興法学Ⅱ』慶應義塾大学出版会(プロローグに原子力発電所構内視察報告、第1部第1章「東日本大震災リーガル・ニーズ・マップ」に原子力事故相談の地図を利用した多重分析あり)